刑事事件は当事者主義というのがあり、まず、裁判所に提出しようと考える証拠については事前に相手方当事者に閲覧し意見をもらわないといけない。検察官であれば弁護人に、弁護人であれば検察官に事前に証拠開示を行い、それについての意見(同意、不同意、異議なし、異議なりなど)をもらわないといけない。
裁判所に提出する証拠であるから、証拠請求者にとって有利なものばかりが証拠開示される。
これはこれで、裁判のルールとしては問題ないと思っている。
問題は、検察官にとって不利になる証拠のなかに、被告人にとって極めて有利になる証拠があるということである。この種の証拠として裁判上有名なのが松川事件における「諏訪メモ」であるが、「諏訪メモ」により死刑判決が無罪判決になった、というくらい裁判所の判断に劇的な変化が起こった。
検察官は「公益の代表者」なのだから、捜査により起訴した内容に誤りがあればそれを公判で是正するのも検察官のあるべき職務であると考えている。だから、みな、検察官を応援するわけだ。刑事被告人の弁護をする弁護人の仕事を私の親はあまり評価していない。
検察官と被告人の証拠収集能力は比べることなどできないくらい大きな差がある。この差によって本来無罪である者を有罪にしていいはずがない。
裁判の事実認定が証拠によってなされるとされている以上、弁護人としてはできるかぎり証拠を見たいと思うのだが、実務は検察官の姿勢いかんにより証拠にあたる機会に差がでているようだ。