新聞報道によると、まだ100名の司法修習生の就職先が決まっていないという。
私は、53期であるから、1年間のうちに4月に52期が、10月に53期というように就職活動がダブった世代である。
しかし、卒業直前期に就職先が決まっていなかったのは、出産予定があって就職「しない」女性修習生、研究生活のために大学に戻る者(厳密には、就職先があることになろう)、裁判官、検察官希望であったが、どうも採用が難しいこととなり急遽弁護士の法律事務所に就職することになった者、地方で独立しようと考えており、いきなり「親方」になる者(これも、厳密には就職先があることになろう)など、特別な事情があるケースであって、需要と供給との格差から就職難になるということはなかった。
日弁連は、「ノキ弁」といって、事務所の備品を貸し与えるが給料は自分で稼げ、という方式が就職難の解決方法になる、というが、これは小手先のまやかしだろう。
司法修習生から弁護士になったときは、金もないし人脈もないし、稼げない。私は弁護士なりたてのころに金が無くて引越し費用を弟に借りたほどだ(結婚式をやる際も金が無くて困った記憶がある)。
まして、法科大学院に入るために授業料を負担してきた一般的な学生は、借金はあっても貯金などないだろう。
最初から、経験を得ながら稼げる人がどれくらいいるだろうか。
もちろん、以前なら弁護士資格を得られなかったクラスの受験生が弁護士資格を得て働けるのだから、実務にでれば自分の能力次第で何とでもなるという野心家・自信家にはmずは合格することに意味がありどんな条件でも就職ができればいい、と割り切れるだろう。
実際、偏差値どおりに仕事がうまくいかないのも、弁護士の面白さであるし。
しかし、就職も出来ないのにあの受験負担、試験負担、就職負担を自分の子供に課すことを良しとする現役の弁護士は、果たしているだろうか?
私は、正直、いやである。
また、なってからも精神的にキツイ業界であるのに、安心して就職できないのならいい人材に目指してもらえるだろうか、弁護士費用が低額になるとユーザーである国民市民は「よかった」と思うからしれないが、果たしてそれでいいのかとも思う(費用が安ければ出来ることも限られる、というのが偽らざる気持ちである。5000円の旅館と3万円の旅館とでは、おのずと違ってくる)。
多分、弁護士の不祥事も増えると思う。
国民が安心して弁護士に依頼できる環境を守るためには、国と闘うこともある弁護士としては、独立して働くための最低限の保証がほしいのである。
なお、私は弁護士増に反対しているわけではない。就職ができないほど増やすのは問題だという認識である。もともと、司法試験は「資格試験」ではなく、国の政策的観点から資格者を制限してきた「就職試験」なのだから。
むしろ、私は、適切な数の弁護士増には賛成である。
勉強もせずに働かないのに、キャリアをひけらかしてえらそうにしている弁護士が市場から駆逐されるためにも。