科学捜査が結論を間違え、捜査官が間違えた結論を錦の御旗にして無罪の人を自白に追い込み、裁判官も間違いに気がつかず、17年以上もの間、無実の方が身柄を拘束され、真犯人は時効により罪を免れた。
足利事件は、どうして起きてしまったのか。
刑事訴訟法好きな受験生だった私は、足利事件の判決を受験生時代に読んで知っていた。
当時から、DNA鑑定の精度を疑問視ししていたので、DNAの型が一致しないという再鑑定結果は「やっぱりそうだったか」と思った。
科学捜査手法は、自白に頼らない捜査方法として、本来なら推奨されるべきものである。
しかし、科学捜査の結果が自白を取りたい捜査側の望む結論だったとき、むしろ科学捜査の結果は自白を強要する大きなネタになる。
なぜなら、捜査官の目の間にいる否認する「被疑者」は、科学が犯人として断定する以上、捜査官には嘘をついている反省していない被疑者にしか見えないからである。
科学は万能ではない。
検察庁や警察署は、足利事件を教訓にして、飯塚事件も袴田事件ももう一度よく鑑定結果を吟味したほうがいい。
本当は「やっている」のに、「やっていない」と長い間ずっと言い続けることは、良識なる人間にとっては、結構、難しい。
裁判所(最高裁判所、再審第1審の宇都宮地方裁判所)も批判には真摯に耳を傾けるべきだったと思う。
冤罪は、国家が行う最大の人権侵害である。