弁護士ブログ

2020.04.26更新

 3月は、東京弁護士会期成会事務局長の最後の任期月だった。一年間、いろいろと東京弁護士会会務が大変であった。

 ただ、今まで知らないことも多く、とても勉強にはなった。月末の幹事会・総会まで引き締めていこうと思う。

 

 弁護士の仕事にも、徐々に新型コロナウイルスの影響が生じ始めた。まず、自治体での講師の仕事が全てキャンセルされた。裁判の日程は一応維持されたが、裁判官の態度からも、4月以降は法廷が開かれない可能性が高いことを感じ取ったりした。

 

 6日に実兄が突然亡くなった。心筋梗塞だった。早朝の午前5時30分ごろだったというが、文字通り、突然だったので、救急隊員による懸命な蘇生もかなわず、兄はあっけなくこの世を去った。4月に53歳の誕生日を迎えるはずの、まだまだ死ぬには早すぎる死であった。

 兄は、生まれつきの知的障がい者だった。地元の小学校と中学校を出た後、埼玉県のとある養護学校に進んだが、結局、16歳から亡くなるまでの36年間、埼玉県内の福祉施設で生活をつづけた。私が家事事件を多く手掛ける弁護士になった背景には、確実に兄の存在がある。

 警察署が来て、兄の死去について事件性の有無を調べたこともあり、両親が自宅から駆けつけて兄と面談できたのは午前10時ごろだったらしい。

 私も、午前9時過ぎに電話をもらったので、午前10時からの打ち合わせを済ませた後、翌週の火曜日までのスケジュールはすべてキャンセルし、実家に向かった。

 午後2時過ぎに実家ではなく、葬儀場にて兄に面会した。兄は、すでにきれいに処置されており(ただ、顔面のひげは伸びたままで、本当に寝ているようだった)、本当に寝ているようだった。でも、体は冷たく「起きろ、ひでくん」と声をかけても、兄は目を覚まさなかった。兄と最後に会ったのは、先月の2月で実家近くの床屋に同行したときで、これが最後のお別れになるとは、全く思わなかった。

 9日に通夜、10日に告別式、火葬などと淡々に進み、あっという間に兄は骨になった。大きな体も、骨となってはこんなに小さくなるのか、と涙が止まらなくなった。

 兄の52年間は、幸せだったのだろうか。多くの友人と語らうとか、恋とか仕事とは無縁の人生だった。私は、2歳しか離れていないことから、結婚前後を問わず兄とはずっと近かったと思うが、どうだったのだろう。

 兄の時折見せた私をはっとさせた感性は、障害がなければそれなりに大きく社会に貢献するような逸材であったと確信される人物だった。それだけに、惜しい。

 私が父の涙を見たのは、おそらく生まれて初めて。喪主挨拶ができなくほど、父は動揺した。

 私も、人前で号泣したのはおそらく初めてで、子供たちも「父が泣いた姿は初めて見た」と妻に言っていたそうだ。本当につらかった(今も、つらい)。

 3月も中旬になると、新型コロナウイルスが実はとんでもない危険なウイルスであることが分かってきた。私は、50年生きているが、インフルエンザにもなったこともなければ入院生活もなく、健康そのものである自負があるが、ウイルスにはかなわないだろう。健康でなければ、いい仕事もできない。

 事務所を作って14年目になるが、はじめて事務員の時短勤務を決め、自分もマスクを着用、手洗いの励行、睡眠をしっかりとって体力を落とさないようにするようになった。

   

 2020年3月は、いろんな意味で、私の生涯でずっと忘れられない時期になると思う。

 

 

 

 

 

 

投稿者: ヒューマンネットワーク三森法律事務所

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